偉人を育てた母の言葉
ごきげんよう!スマイリー平野😊です。
いつも、笑顔会ブログをご覧いただきありがとうございます。
関西は、なかなか梅雨入りをしませんがジメジメと蒸し暑い日が続いています、いかがお過ごしですか?
先週のブログで「枕元に靴」をおすすめしました。奇しくも6月18日に山形沖を震源とする地震が発生し、新潟県村上市では最大震度6強、山形県鶴岡市で震度6弱を観測しました。幸いにも地震の規模に比べて、死者もなく大きな被害は無いようですが、今後も大きな余震が無いことと被災された方には、1日も早い復興をお祈り申し上げます。
さて、先週に引き続き防災のお話をさせていただきます。以前は、カンパン・缶詰などが非常食として家庭でも保管されていました。しかし、非常食というと「気が付いたら賞味期限が過ぎて廃棄することになった」と言うことが聞かれます。「ローリングストック」は、日常の食品を多めに買い、切らさずに買い足すという行為を繰り返し、常に家庭に新しい食品が備蓄される方法です。大手スーパーの想定ですが、発災から(ライフラインの復旧と救援物資などを取得して)店頭販売再開を8日目と想定した場合、水および水分は、大人ひとりあたり1日3リットル相当が必要です(7日間で21リットル)。食料としては、1~2日目を冷蔵庫内の食品(生鮮食品・野菜類・冷凍食品・パン類)で凌ぎ、3~7日目までを「ローリングストック」しているレトルト食品・インスタント食品・米類・麺類・菓子類や栄養補助食品・観物などの食品でまかなうという考え方です。また、ローリングストックをする食品は、「常温保存が可能なもの」「そのまま食べられるレトルト食品・加工食品」「ストックしておくため賞味期限が1年程度」「日常生活を維持するための最低3日から1週間の備蓄」を基準として、ストレス軽減をはかる目的で、なるべく普段通りの食事が再現できる。水分・栄養価を摂取できる。精神的な不安が緩和されるよう甘いもの。などの配慮も必要です。
インターネットで「ローリングストック」と検索するとより詳しい情報を得ることが出来るので、一度ご覧になってください。笑顔会でも9月1日の防災の日に向けた取り組みを始める予定です。また、機会を改めてご紹介させていただきます。
それでは、次の話題に移ります。今週も読んだ本からの紹介です。
「偉人を育てた母の言葉」大坪信之著 致知出版社 より引用
洋の東西を問わず、歴史に名を残した数多くの偉人たちには、幼少期にその人格を決定づける偉大な母の存在がありました。子どもたちの話を聞いていると、幼児期の子どもたちの一番の願いは両親に愛されることだとわかります。とくにお母さんに愛されることです。 赤ちゃんの時代には、両親に1日放っておかれるだけで死んでしまわないとも限りません。 だからこそ、何よりも愛してもらうことが重要なのかもしれません。 今生きているということはお母さん、またはお母さん代わりの誰かが1日も欠かさずに世話をしてくださったということであります。この母の愛というものは人間だけでなく、すべての生き物が持っている見返りを求めない無償の愛です。そのような海よりも深い、無償の愛を受けて育てられた子どももまた、お母さんを心から愛するのです。そしてまた、お母さんも子どものことを一所懸命愛し続けます。人間には子離れの本能がないので、親にとってはいつまでも子どもはかわいい子どものままです。しかし、子どもの方には親離れの本能があります。それゆえに次第に親が煩わしくなってしまい、だんだんと冷たくなって離れていきます。これが“親は子どもに対して永遠の片思いだ”といわれるゆえんです。ただ、親離れした後でも、お母さんの言葉や関わりの記憶は心の奥深いところに大切にしまわれていて、折に触れて胸をふるわせてくれます。その一言が人生を支えてくれたり、助けとなったりして、生きていく上での方向性を指し示してくれたりするものです。
「お母さんはあなたの漫画の世界で第一号のファンになりました。これからお母さんのために、おもしろい漫画をたくさん描いてください」手塚治虫の母・文子
手塚治虫を知らない人はいないでしょう。漫画家、アニメーター、医学博士など様々な肩書を持つ彼は、戦後日本における漫画界の第一人者として、現代までつながる日本の漫画表現の基礎を築き上げた天才です。「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「ブラック・ジャック」「火の鳥」等に代表されるヒット作を次々と手がけ、世界中の子どもたちに夢と希望を与えました。
手塚治虫は1928年に大阪で生を受けました。治虫の家庭は比較的裕福で、新し物好きのお父さんが収集した、当時は珍しかった漫画が本棚に並んでいました。こうした環境も彼の才能を引き出した要因の一つと言えます。しかしそれ以上に、彼が母から受けた影響はとても大きなものでした。治虫のお母さんは優しく理解のある女性で、いつも彼のありのままを受け入れてくれました。
軍人の娘として厳しい躾を受けて育った彼女は、非常に忍耐強い女性でもありました。幼少期にいじめられっ子だった手塚少年に、彼女はいつも「堪忍なさい」「我慢しなさい」と言い聞かせていました。治虫は大人になってから、「癇癪もちだった自分が、大人になってなんとか腹の虫を抑えることができたのは、母から教わった忍耐のおかげかもしれない」と述べています。
彼の中で母の言葉が重みを持って響いて、長く心に残っていたことがよくわかるエピソードです。治虫の人並み外れた想像力の才能に気づいていた母親は、熱心に本や漫画を読んで聞かせました。登場人物に応じて声色を変えたり、感動的な場面では心をこめて語りかけたりする姿は女優さながら。治虫は本や漫画の世界に引き込まれ、夢中で瞳を輝かせていたそうです。やがて治虫少年は小学生になりました。池田師範付属小学校という進学校に通うエリート少年だったのです。ある日の授業中のことです。当時から漫画が大好きだった治虫は、ノートに漫画を描いていました。それを先生が見つけて、母を呼び出します。
当時、漫画はまだまだ認められておらず、市民権を持たなかったのです。学校に呼び出された母はひどく怒られたことでしょう。家に帰ってきた母は治虫にこう尋ねました。
「どんな漫画を描いていたのか見せてちょうだい」治虫がもってきたノートを、母は何も言わずに最初から最後までじっくりと読みました。そして次のように言ったのです。
「治(治虫の本名)ちゃん、この漫画はとてもおもしろい。お母さんはあなたの漫画の世界で第一号のファンになりました。これからお母さんのためにおもしろい漫画をたくさん描いてください」
普通の親であれば頭ごなしに叱ってしまう場面かもしれません。しかし、彼女は彼の才能を見出し、たとえ世間に咎められようとも、認めてほめてあげることで、治虫の才能をさらに伸ばそうとしたのです。治虫の大好きなお母さんが味方になってくれたと思うことで、自信を持って漫画に集中することができたのでしょう。
治虫は医学博士の肩書も持っていて、その医療の知識は代表作の一つである「ブラック・ジャック」にも生かされたそうです。大学時代には医者への道を目指した治虫ですが、次第に医学と漫画の両立に悩むようになりました。そこで母親に相談したところ、彼女はこう尋ねました。「あなたは漫画と医者とどっちが好きなの?」治虫は母に対して素直に答えました。「漫画です」すると母は、「じゃ、漫画家になりなさい」とあっさり答えたそうです。
当時の漫画家の地位はとても低く、医者とは比べ物にもならなかったにもかかわらず、治虫の才能と情熱を信じて背中を押してくれたのです。治虫はこのときのことを振り返り、自伝に感謝の言葉を述べています。
「母はいいことを言ってくれたと思います。母のこのひと言で決心がつき、本当に充実した人生を送ることができました」
手塚治虫の作品の中には、しばしば母子の温かい絆が扱われています。いかに彼の中で母親の存在が大きかったかがよくわかります。「今のあなたのままでいいのよ」という損得を顧みない絶対肯定の無条件の愛情が、治虫の才能を伸ばし、天才を育てたのです。
引用 おわり
今週は、たいへんな長文になりました。最後まで読んでいただきありがとうございます。
育ててくれた両親に感謝して終わりたいと思います。
それでは、ごきげんよう。さようなら。😊