日本のてっぺんへ行ってきました。

ごきげんよう!スマイリー平野😊です。

いつも笑顔会ブログをご覧いただきありがとうございます。

 さて、先週、一泊二日の弾丸ツアーで日本のてっぺんの宗谷岬へ行ってきました。中学生の時に四国1周の自転車旅行をしました。その当時、一緒に行った近所のお兄さんが北海道を廻った時に宗谷岬で撮った写真を自慢げに見せてくれた時からの憧れの地です。さすがに、この年齢では自転車で行けないので、飛行機とバスの旅になりました。立冬を過ぎた北の大地を7時間かけて千歳から稚内へと吹雪の中をバスで移動しました。(北島三郎:「風雪ながれ旅」の留萌・滝川・稚内と云う歌詞を思い出しました)

長時間のバス移動でしたが、エゾシカやキタキツネを見たり、暮れなずむなかでゴーゴーと大きな音とともに白い波が打ち寄せる浜辺を眺めたりもしました。そして、翌日の8:08に、憧れの北緯45度31分22秒にある日本最北端の宗谷岬に立つことが出来ました。気温ー0.6度でしたが風が強くて体感は冷凍庫の中にいるようでした。滞在時間は20分ほどでしたが、間宮林蔵の銅像に並んで記念写真を撮って帰ってきました。

北海道ならではの食べ物と飲み物を満喫し楽しい旅行でしたが、感じたことは高齢社会です。バスの運転手さんとガイドさんはおそらく60代半ばの年齢で、ホテルのフロント・レストランの従業員の方も60代半ばから70代前半の方でした。皆さんは本当に親切で接遇には文句のつけようがなかったのですが、5年先、10年先を危惧させられました。それから、空き家と朽ちたサイロを散見し、なんだかとても不安な気持ちになりました。過疎化が進んで、人情が薄れないうちに、また、北海道へ行きたいと思います。

 さて、昨日は皇居で「大嘗祭」が行われました。前に読んだ本から引用して紹介いたします。「日本の心を伝える伊勢神宮」山中隆雄著 発行:財団法人モラロジー研究所

平成19年12月10日 初版 以下引用

日本のお米を召し上がって天皇陛下に即位される大嘗祭

 大嘗祭は、陛下が初めて天皇陛下になられるお祭りで、即位式の後に行われます。この大嘗祭のときは、大嘗宮という御殿をつくります。大嘗宮には悠紀殿(ゆうきでん)、主基殿(すきでん)という二つの御殿があります。悠紀というのは東の国で、主基というのは西の国です。平成の天皇のときは悠紀の国は秋田県、主基の国が大分県でした。そして、大嘗祭の夜に東の代表の米と西の代表の米をお召上がりになって、天皇陛下になられるのです。また、これが天孫降臨の稲穂の記述にもつながっていきます。だからお米が大事なのです。

 また大嘗祭の日には、大嘗宮の中に枕と褥(しとね・布団)が用意されます。新しい天皇は、その布団の中で神さまといっしょにおやすみになられます。評論家の加瀬英明氏によると、「それは神の心を頂くためです。さらに天照大神さまの孫として、つまり瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)としてこの世に生まれ変わって出てこられるという意味が大嘗祭にはあるのです。日本中のお米を食べて、天照大神さまといっしょになり天照大神さまの胎内に入って、神の心、つまり慈悲心を頂かれて、またお出ましになる」(『神秘なる天皇』日本教文社刊)と説明されています。実に神秘的な儀式です。

 このように、歴代の天皇は天孫から国民の幸せを任されて、天照大神からの言いつけをずっと守っておられるのです。

 高田好胤師は、お米のことを次のように説明されました。「大和言葉では米のことを『ヨネ』と言います。『ヨ』とは命の意味です。君が代の『よ』も同じです。『ネ』は根で元の意味です。同じ大和言葉に嫁というのがあります。『ヨ』は命、『メ』は女の意味で『命の母』です。男ばかりでは命はつながりません。その家に嫁が来て新しい命が生まれ、そしてつながっていくのです」

 このように大和言葉でも、米は命の根を表しています。だから日本人はお米を大切に考えてきたのです。よく「『ごはん』と言いなさい。決して『めし』なんて言ってはいけません。罰があたります」と好胤師は言われました。

 昔は、どこの家庭でもご飯を粗末にしたら親から叱られたものです。弁当でもふたについているご飯粒から食べました。ご飯粒を残せば叱られ、畳に落としたご飯も「汚くない、食べなさい」と言って食べさせられました。昔はどこでも見られた光景です。

引用終わり

 この度の大嘗祭では、西は京都府の米、東は栃木県の米が選ばれて五穀豊穣と国の安寧を祈られました。日本人の主食は、お米です。学校給食でも米飯給食が取入れられて久しくなります。やっぱり、残さず食べなければなりませんね。

では、ごきげんよう!さようなら。