『全国学校給食週間』がスタートです。

ごきげんよう!スマイリー平野😊です。

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さて、1月24日から30日は、『全国学校給食週間』で、昭和25年(1950年)に文部省(現:文部科学省)が制定しました。日本の学校給食は、明治22年(1889年)に山形県鶴岡町(現:鶴岡市)の浄土宗 大督寺に開校された私立忠愛小学校で始まったと言われています。当時は、家が貧しくて弁当をもってこられない子供がたくさんいたそうで、この小学校を建てたお坊さんが、おにぎり🍙、塩鮭、菜の漬物の昼食を無償で提供しました。

今もお寺の山門近くに、「学校給食発祥の地」と書かれた石碑が立っています。昭和34年(1959年)に建てられた石碑には、この地を発祥に、全国各地に学校給食が拡がって根づき900万人を超える児童・生徒の体位が向上したことに、先賢の慈悲の心と達眼を敬い慕う内容の当時の山形県知事の碑文が刻まれています。

写真提供元 独立行政法人日本スポーツ振興センター

碑文の通り、全国各地に拡がっていくなかで、戦争の影響などによって中断された時期がありました。戦争で焦土と化した日本は極度な食料難に陥っていました。敗戦翌年の昭和21年(1946年)になると「1000万人の餓死者が出るのではないか」とささやかれていました。大変に混乱した状況で、当時の松村謙三文部大臣の著書に昭和天皇の逸話が書かれています。

 昭和天皇は、「食料の悪化は、このまま推移すれば多数の餓死者を出すことになる。戦争で塗炭の苦しみをした国民に、このうえさらに多数の餓死者を出すようなことは自分にはたえがたいことである。政府でもアメリカに食料提供を要請しているが、応諾が難しいとの状況と聴く、考えてみると当方から食糧の代償として提供すべき物がないのだからしかたがない。皇室の御物の中には、国際的価値があるものが相当あるとのことで、帝国博物館の館長に命じて調査させた目録がある。これを代償に食糧にかえて国民の飢餓をしのぐよう取り計らってほしい」と仰せになられました。

マッカーサー元帥に、昭和天皇の心もちを伝え御物の目録を差し出すと、すでに最初の訪問で「自分の身はどうなっても国民を助けてほしい」という言葉に感動を覚えていた元帥は、「天皇の考えられることは、まことによくわかるが、自分としてもアメリカとしても、せっかくの懇請であるけれども、皇室の御物を取り上げて、その代償に食糧を提供することは、面目にかけてもできない。目録を陛下にお返しされたい。しかし、国民を思う心もちは十分に了解したので、自分が現在の任務についている以上は、断じて日本国民の中に餓死者を出すようなことはさせないので、陛下にご安心なされるように申しあげてほしい」と言いました。これまで首相、外務大臣が何度も食料支援を懇請していましたが、決して承諾しなかったマッカーサー元帥が、昭和天皇の御心に打たれて、即刻アメリカからの食料物資を手配したとの内容が書かれています。

 そして、海外の日系人や善意のアメリカ人からの寄附による支援物資(ララ物資)が贈られることとなりました。昭和21年(1946年)12月24日に東京都内の小学校で給食用物資の贈呈式が行われ、この日を「学校給食感謝の日」と定めました。

昭和22年の給食
写真提供元 独立行政法人日本スポーツ振興センター

昭和25年(1950年)に学校給食による教育効果を促進する観点から冬休みに重ならない1月24日から1月30日までの1週間を「学校給食週間」と定められました。学校給食の意義や役割について、児童生徒や教職員や保護者の方々、地域皆さんの理解を深め関心を高めるための行事や献立が全国各地で行われるようになり71回目にあたります。山形県で給食が始まってから131年の時が流れました。

 学校給食で学ぶべきこととして「食事と文化」「勤労と感謝」があります。「食事と文化」については、終わりに紹介しますが、各学校給食センターでもこの間に、食文化や地産地消に因んだ献立が立てられています。しかし、「勤労と感謝」については、あまり触れられていないように感じます。

 学校の社会科や歴史の授業では、試験の対策で単に年代や名前を暗記するだけでいいと思っている人がいます。知っていることといえば、年号を語呂合わせにして答えることはできます。本当に歴史を学ぶということは、その出来事が発生するに至ったか、その至ったことを誰がどのように関わって今につながって、それを未来に向かわせることと言われています。今回のブログを書きながら、学校給食131年の歴史を知って、多くの先人の功労や真心と日本に生まれたことを感謝しなければなりませんね。

 昭和天皇の御心がなければ、戦後の食糧難で両親のいずれかが餓死したかもしれません。

そうなってしまえば、昭和34年に私は生まれることが出来なかったし、私の子どももこの世に存在することがありません。児童・生徒がこれからのグローバル社会を生きていく上で、多くの異国異文化の人々と接したときに、日本の食文化たる「学校給食」の歴史を知ることはとても大切なことだと思います。

 それでは、各給食センターの「学校給食週間」を紹介いたします。

◎東大阪市立学校給食センターでは、中河内地区でとれたお米を使う予定と河内の郷土料理「かしわのすきやき」が登場します。

◎五條市立学校給食センターでは、戦後の食糧難で、ご飯に代わって小麦粉を練って汁に入れて食べた「すいとん」が27日の献立です。そして、29日には「ジビエ、五條市・奈良県地場産物活用料理」と銘打って、古代米(黒米)柿の葉寿司、ししにく入りすき焼き煮の豪華献立です。五條市のししにく(猪肉)は臭みが無く柿と並ぶ地域の名産物です。

 その他、「ドイツ料理」「イタリア料理」「香川県料理」など27日~31日まで、お楽しみ献立の1週間です。

◎いがっこ学校給食センター夢では、1月24日に「学校給食記念日」と題して里芋の「芋煮」がメニューになっています。

 笑顔会ブログ、各給食センターの「本日の給食」で紹介する出来上がりを楽しみにしていてください。

 小学校低学年では、脱脂粉乳の給食を経験しています。不味いと思っていたことをブログを書きながら反省させられました。先人の思いのこもった学校給食を調理する仕事に感謝をする「学校給食記念日」です。

それでは、ごきげんようさようなら