「カレー」の話
ごきげんよう!スマイリー平野😊です。
いつも笑顔会ブログをご覧いただきありがとうございます。
さて、新型コロナウィルスの日本での流行も心配される中、コンビニやドラッグストアではマスクが品切れになっています。今年もインフルエンザで学級閉鎖が拡がって学校に行けない子供たちや仕事に行けないお母さんも増えています。インフルエンザ流行期にマスクが手に入らない由々しき事態となっています。マスクは給食調理員さんのトレードマークと言っても過言ではない必需品です。無ければ、安全で安心の給食をつくることが出来なくなってしまいます。心ない人達がインターネットで法外な価格で販売しているニュースを聞いて強い憤りを覚えています。二つのウィルスの感染拡大が一日も早い終息を願ってやみません。
今の仕事の前職は、カレー専門店も経営する会社に10年ほど勤務していました。 カレーについても少し専門的に勉強して、自分でも家で調理していました。今週は、日本の国民食とも言える「カレー」についてお話します。
カレー(英語でcurry)の語源ですが、インド南部のタミル語でいろいろなスパイスの入ったソースや汁という意味の「Kari」(カリ)が訛ったものと言われています。18世紀のインドはイギリスの植民地になっていました。1772年ごろにカレーの原料(スパイス)と米(インディカ米)をベンガル地方の総督が本国に持ち帰って、ビクトリア女王に献上したことでイギリスに伝わりました。その後、小麦粉を加えて、とろみのある英国風のカレーに変化し、貴族や上流階級のパーティー料理として流行しました。やがて、予め多種類のスパイスを調合してクロス・アンド・ブラックウェル社が「C&Bカレーパウダー」を販売し、家庭料理のひとつとして「カレー」が普及し、それが幕末に日本へ伝わりました。
明治5年(1873年)には、「西洋料理指南」と「西洋料理通」という本で「カレー粉」を使い小麦粉を入れてとろみを出す料理法が紹介されています。明治9年(1876年)には札幌農学校に着任した「Boys,be ambitious(少年よ大志を抱け)」で有名なクラーク博士が寮食に取り入れて推奨しました。札幌農学校で栽培される玉ねぎ・人参・ジャガイモが具材となって使われたことが日本のカレーの具材として定番となった要因とされています。
そして、陸軍・海軍の其々でカレーが軍隊食として採用されたことで日本各地の津々浦々に広まっていきました。今でも、洋上では曜日感覚が無くなってしまうことから海上自衛隊は、毎週金曜日にカレーが出されています。各艦艇、部署のオリジナルレシピで調理されており、横須賀や舞鶴などの自衛隊基地の売店で、お土産用にレトルトカレーが販売されています。
150年前にイギリスから伝わったカレー粉ですが、明治38年(明治38年)に日本で最初製造、販売したのは、大阪の道修町の薬種問屋(大和屋)です。カレー粉に使われるスパイスの多くは、漢方薬と原料が共通しており薬種問屋でも扱われていました。藏にしまっていた各種の漢方薬が当時輸入されていたカレー粉の匂いに似ていることに気づき、ウコンなど22種の漢方を調合して「蜂カレー」と名付けて販売しました。現在、エスビー食品とカレー産業を寡占するハウス食品も大阪の薬種問屋が前身です。簡単、手軽に食べられるレトルトカレーも最初に開発・販売したのも大阪にある大塚食品です。NASAのアポロ計画の宇宙食として採用されたレトルト技術を取り入れて、昭和43年(1968年)に「ボンカレー」が阪神地区限定で販売されました。子連れ狼にふんした笑福亭仁鶴の「3分間待つのだぞ」のテレビCMをよく覚えています。それらのことからカレー文化の歴史と伝統を誇る大阪は、「カレー王国」と呼ばれています。美味しいカレー店がしのぎを削っています。
そして、学校給食でも昭和57年(1982年)に社団法人 全国学校給食栄養士協議会が、全国一斉にカレー給食を出した1月22日を「カレーの日」として定めています。笑顔会メンバーが働く、センター方式、自校式学校でも地産地消の食材などを取り入れた美味しいカレーが、子どもたちの人気メニューです。
現在、カレーは、「カレーライス」から「カレーうどん」「カレーラーメン」「カレーパン」「カレー風味の唐揚」「カレー味のスナック類」など多種多様に変化しています。
ナンと一緒に食べる本場インドのカレー店も増えてきました。競争が激化するなかでどのようにカレー文化の花を咲かせるのか楽しみですね。
立春が過ぎました。春もそこまで近づいています。ノロウィルス、インフルエンザ、新型コロナなど目に見えないウィルスが飛び交っていますが、感染しないように手洗い、うがいなどの予防に努めましょう。
それでは、ごきげんようさようなら。