ひらちゃん講座で「給食の歴史と 現在の給食の変化と現状」についてお話ししました

大阪府平野区の 生涯学習区民協同働企画講座「ひらちゃん講座」で 笑顔会が「給食の歴史と 現在の給食の変化と現状」をお話しさせていただきました。

日時:2月27日(月)14:00〜15:31日
会場:平野区役所 研修室

メインのテーマは、昭和・平成・令和と続いてきた給食の歴史についてです。

まずは みなさんに 昭和40年代まで 給食のメニューによく登場していた鯨肉の竜田揚げや 令和になって瓶牛乳から変更になった紙パック牛乳と液体のミルメーク、そして給食の定番・コッペパンを召し上がっていただきました。

試食していただきながら、給食の歴史についてお話ししました。

給食は、明治22年に 山形県鶴岡市のお寺の境内にあった小学校で始まったと言われています。このときは、生活が苦しい家庭のお子さんのための給食でした。

「学校給食」として全国に給食が広まったのは 戦後にアメリカから届いた「ララ物資」の脱脂粉乳や小麦があったからです。

その後、日本の経済成長とともに給食は進化し、現代では 誰もが安心安全でおいしい給食を食べられるようになっています。

現在の安心安全でおいしい給食をつくるために、調理員さんたちは たいへんな注意をはらっています。その努力についても、具体的にお話ししました。

後半は、実際に学校給食の調理員として働いている管理栄養士が、日々感じている現代の給食の問題点について お話ししました。

昭和の時代は 誰もが完食していた給食ですが、現在ではとても多くの残食があります。この問題を解決するひとつの提案として、給食作りの現場を見学してもらったり 調理員が児童生徒と触れ合う機会をもつなどの取り組みも 行っていきたいと考えていることもお話ししました。

また、食物アレルギーをもつ児童生徒が増え、対応は細心の注意が必要となっています。

アレルギー対応のメニューは、アレルギーのもとになる食材を完全に除去するため 担当調理員はエプロンの色を変えて区別し アレルギー対応以外の料理には決して触れることがありません。

アレルギーだけでなく 通常の給食についても食中毒や異物混入を防ぐため 調理工程や衛生面などさまざまな「安心安全」のための決まり事についても ご紹介しました。

調理用のフードがついた帽子を紹介

お話が終わってからは、聴講されているみなさんの 給食の思い出をお聞きしたり 質疑応答を行いました。

現代では 食べられて当たり前になっている給食が、どのようにして広まって 安心安全に食べられるようになったかを知っていただくことができました。

聴講してくださったみなさん、ありがとうございました。