味噌の話
ごきげんようスマイリー平野です。
いつも笑顔会ブログをご覧いただきありがとうございます。
こよみの上では、今日で秋が終わり、明日は二十四節気の「立冬」、木枯らしに落ち葉が舞い、いよいよ季節は冬と変わります。里山では、山茶花(さざんか)の花が咲き始めるころで、野菜では白菜が旬を迎えて鍋料理が美味しい季節ですね。しかし、残念ながら、今年はコロナウイルスの影響で鍋を囲むのが難しそうですね。
さて、今週も日本の発酵食品で「味噌」についてお話をさせていただきます。先ずは、味噌の起源ですが、古代中国の「醤」(ひしお)と考えられています。日本では、「大宝律令」(701年)に「未醤」(みしょう)という文字が記録されており(みしょう)が(みそ)に変化したものとも考えられています。
平安時代には、高級官僚の給与として支給贈答品として扱われるなど庶民の口には入らない贅沢品でした。この頃、初めて「味噌」という文字が文献に残されています。
鎌倉時代に「味噌汁」が登場します。中国から渡ってきた禅僧の影響で、すり鉢を使用するなり、粒味噌をすりつぶして「すり味噌」が作られました。それを水に溶かして味噌汁が出来ました。味噌汁の登場によって「一汁三菜(主食、汁もの、おかず、香のもの)」の和食の基本が確立されました。
室町時代になると原料の大豆の生産量が増え、農民が自家製味噌を作るようになりました。庶民のあいだでも保存食として浸透して、味噌料理が各地で作られるようになり現代に伝えられています。戦国時代に入ると戦をする貴重なたんぱく源であったので、兵糧として武田信玄・徳川家康・伊達政宗などの戦国大名は領地で味噌づくりを奨励しました。
江戸時代になるとなくてはならない調味料となり、ますます味噌の需要が増え、江戸の町には三河や仙台から運ばれるようになり「味噌屋」が繁盛しました。
新幹線のない時代に東海道五十三次(江戸の日本橋~京都の三条大橋まで約500㎞)を平均すると13日で旅していました。峠越えなどでその日の行程に長短がありますが、平均すると38㎞になります。15年程前になりますが鯖街道(京都出町柳~小浜港まで 約90㎞)を3日かけて歩きました。2日目に足が棒のようになった経験があります。13日間も1日38㎞を歩けることは大変なスタミナと脚力が必要です。そのスタミナ源は、宿の食事で決まって出される豆腐を具にした納豆汁にあると言われています。現代人が1日に摂取する肉などの動物性タンパク質とほぼ同量のタンパク質を摂取したことになり、しかも大豆にはコレステロールや脂肪がないので、この上なく健康的な食事なのです。
しかし、塩分の取りすぎは体に悪いと言われています。最近は、減塩・無塩のものも多く販売されています。上手に使えばより健康的な食生活になりますね。
そして、調味料としてもバラエティー豊かな味噌料理があります。ネギやワカメで「ぬた」にしたり、熱々のコンニャクに甘く煮た味噌をつけて「田楽」、握り飯に塗って「味噌握り」などがあります。また、保存料として、キュウリやダイコンやゴボウなどで味噌漬けを作って飢饉や災害に備えた「救荒食」にしました。同じように、魚や肉を味噌漬けにすると日持ちがするうえに、いっそう美味しく食べられるので、全国各地の名産になっています。
自然災害の多い日本です。各地に名産を備蓄食としてGO TO トラベルで旅したときに買ってくるのもいいですね。
味噌のことをいろいろと調べていたら「みそソムリエ」という資格があることを知りました。一般社団法人 東京味噌会館の法人内に「みそソムリエ認定協会」があり呼称認定試験を行っています。全国の味噌屋さんがサポーターとなり運営に協力されています。
みそソムリエは、『「味噌」の知識を正しく幅広く持つことで、「味噌」のよき理解者となり幾重にもある「味噌」の魅力や文化から作られる「味噌の世界」を愛と敬意を持って、この世の多くの人々に広め(発信)、この先の人々にも継いでいくこと』を志とする人の特別な資格です。残念ながら今年の試験は終了したので、来年は是非とも挑戦してみたいと思います。
日に日に寒さが厳しくなってきます。お体ご自愛下さい。 それでは、ごきげんようさようなら。