鯨🐋のはなし
ごきげんようスマイリー平野です。
いつも笑顔会ブログをご覧いただきありがとうございます。
ひと雨ごとに深まりゆく秋を感じる頃となりました。10月23日は、二十四節気の「霜降」です。「しもふり」では無く「そうこう」と読みます。冷え込みが増して里山には真っ白な霜が降り始め、そろそろ冬の到来が気になり、紅葉が見ごろを迎える時期になりました。
さて、先週の土曜日も伊賀は雨で楽しみにしていた畑作業が出来ませんでした。今週も冷たい雨が降り続いていますが、ひと時の晴れ間に伊賀の仲間が頑張って畑を耕してくれました。作物の成長する過程をブログにアップしていきたいと思います。
では、今週は、最近読んだ本で小泉武夫博士が上梓された「鯨(げい)は国を助く」(小学館2010年)を読んだ感想を書かせていただきます。
小泉武夫博士は、昭和18年に福島県の造り酒屋に生まれ、幼少の頃より酒や味噌を醸す発酵菌の中で暮らされていました。専門は醸造学・発酵学・食文化論で農学博士です。
100冊を超える著書があり「不味い!」「食と日本人の知恵」「食あれば楽あり」などを楽しく読ませていただきました。インターネット講座で「ニッポンの食文化が危ない」というタイトルの講習で紹介されていたのでAmazonで購入しました。
著書の内容から(一部引用)
昭和20年から30年代、もっとも食糧難の時代、クジラは学校給食だけでなく、家庭でも頻繁に食べられていた。日本人が摂取する動物性タンパク質の五割近くを鯨肉に頼っていました。人口が増え、日本人が敗戦から立ち上がって国家再建を果たした時期とちょうど重なります。はるか昔から、日本人は長い歴史を通じてクジラに助けられてきました。
考古学的には、日本人は今からおよそ9,000年前にはクジラを食べていたことがわかっています。浜に打ち上げられたクジラ肉を食べ、骨やヒゲなども利用しています。人間の活力源となるタンパク質と脂肪は常に不足していたので、それを豊富に含む鯨肉は日本人にとって貴重な栄養源でもありました。縄文人の遺跡からクジラの骨を加工した首飾りや腕輪などの装飾品に矢尻や椎間板を利用した土器の作成台も発見されています。
奈良時代になると、さらに日本人の生活に定着していき「古事記」には神武天皇が鯨肉を食した記述があります。ちなみにクジラの原文表記は「久治良」とされています。「万葉集」でも柿本人麻呂の歌にも「勇魚」として詠まれています。
また、仏教思想の影響で天武天皇の時代での肉食禁止令や5代将軍徳川綱吉が発布した「生類憐みの令」でもクジラは魚類とされて堂々と食べられていました。江戸の町では、脂肪から採った油で灯りをともしていました。
そのように日本人の生活に欠かせないクジラに対して心から敬い、畏敬の念をもって接してきました。捕ったクジラ一頭一頭に戒名を付け、位牌を安置し供養するお寺が全国各地に存在します。捕鯨で有名な紀州の漁村では、メスのクジラを捕って胎児がいた場合、それを食べることはしませんでした。胎児は漁師のおかみさんの腰巻に巻かれて大事に陸まで連れていかれ、そこで厳かにお寺に葬られていいます。また、熊野周辺のお寺にもクジラの赤ちゃんの位牌がたくさんあります。日本人の「いただきます」の精神が現れていますよね。アメリカやロシアもクジラを大量に捕獲していましたが必要な脂肪だけを取り後の身や内臓は、そのまま海に捨てられていました。
その他、注目したい内容が2点ありました。一つは、クジラが増えすぎて海の生態系が崩れていることです。今年のウナギやサンマなど水揚げ量が減っていることの要因にもなっています。もう一つは、鯨肉のアレルギーが無いとも書かれており、牛肉・豚肉の代替食材にも使用できる美味しい動物性タンパク質と考えます。
僕が小学生(昭和41年春に小学校入学)の頃は、家庭でも学校給食でも鯨肉をよく食べていました。当時は日本人が摂取する動物性たんぱく質の多くを鯨肉に頼っており、牛丼の吉野家もマクドナルドも大阪にはありませんでした。家では「はりはり鍋」(鯨肉と水菜の鍋料理)、学校でも「鯨かつ」「鯨の龍田揚げ」がヘビーローテーションの献立でした。
近くの神社のお祭りにいけば、関東煮(かんとだき)の屋台があってコロ(鯨の皮下脂肪を、脂肪分を抜いてから乾燥させたもので、黒い薄皮がついた黄ばんだスポンジのような乾物、美味しい出汁がでます)が好きでよく食べていました。
現在では、日本人が摂取する畜肉で鯨肉の割合は0.1%も満たしていません。なんと、50年前は70%を占めていました。狂牛病、豚コレラ、鳥インフルエンザなどの危険もなく安全で美味しい鯨肉の食文化を取り戻していけば、国民の健康や食料自給率のアップにも繋がると思います。食文化を維持するためにも美味しい鯨肉の献立を増やして欲しいと思います。
先々週からお届けしている。ほうれん草がここまで育っています。
それでは、ごきげんようさようなら。