偉人を育てた母の言葉 パート3

ごきげんよう!スマイリー平野😊です。

いつも笑顔会ブログをご覧いただきありがとうございます。

先週は、G20サミットの影響で当社の物流部門が前倒しで病院・施設へ食材を運ぶなど対応に苦労していました。東大阪市では、給食が中止になり弁当などの対応をされていました。よく言われることですが、無くなった時にその価値に気づかされることがあります。

皆さんにとって学校給食の価値はどのようなものでしたか? 

さて、今週も「偉人を育てた母の言葉」大坪信之著 致知出版社から引用してお話させていただきます。今回は、毎日(?)顔を見ている人物、千円札の肖像になっている野口英世です。子どものころに読んだ偉人伝で、キュリー夫人、エジソン、ヘレン・ケラーなどの外国人に並んで紹介されていた日本人でした。母が目を離したすきに、囲炉裏に落ちて、やけどで指が固まってしまってからの努力が書かれていたのをよく覚えています。

以下 引用

「自分の目から見たら、お母さんはこの世にまたとない貴い神様のような人です。

 寝る間も惜しんで働く姿を見て育つ  野口英世の母・シカ

 貧農の家に生まれながら、黄熱病の研究で「世界のノグチ」と言われるまでになった野口英世。その英世が勉強や研究に猛烈に打ち込む姿には、すさまじいものがありました。

英世は「天才は勉強だ。勉強することが天才なのだ。誰よりも何倍も勉強する者、それが天才だ」と言っていましたが、24時間はぼ不眠不休で働く英世には、アメリカの研究者たちも驚き、「24時間男(トゥエンティ―フォー・マン)」などとあだ名をつけられていたそうです。そのように研究に打ち込んだ結果、たくさんの人々の命を救うことが出来ました。英世は、子どものときから生涯を通して、「こんなに勉強(研究)し続ける人を見たことがない」と驚かれていました。

 そして、その陰には、骨身を惜しまず働き続けた母親の姿がありました。英世の母・シカは福島に生まれましたが、幼い頃、両親が出て行ってしまいます。その後、祖母と二人で暮らし、6歳から働きに出て、暮らしを支えていました。結婚し、母親となったシカは、幼い英世が囲炉裏に落ちてやけどをしたために、左手が使えなくなってしまったことから「あの手では、百姓で暮らしていくことができない。学問で身を立てるほかない」と考えて、「学問のために必要ならば、もっと働く」と夜も昼もなく働きました。

 このように英世のため粉骨砕身する母の背中を見ながら、英世は惜しまぬ努力と忍耐を覚えていったのでした。英世の母は自分の身をもって“努力”することの大切さを教えていたのです。シカはどんなときも感謝の心をもって、幸せを感じられる人でした。英世がやけどをしたときも“左手のやけど”だけに心を塞いで、恨みつらみを言うのではなく、「それでも命は助かった。ありがたい」と感謝していたのです。英世がいじめにあって学校に行かず、母を助けて働きたいと言ったとき、シカは「お前なら、きっと学者になれる」と励ましました。

 シカは幼い頃に寺子屋にも通えず、英世に教えられることは何一つありませんでしたが、「お前なら、きっとできる」という母の言葉が英世にとって「救いの光」となったのでした。

その後、一心に勉強した英世は“学問”の道において、めきめきと頭角をあらわし始めました。英世が「学問で身を立てる」と決めて、その道を歩み出したら、シカはそれを全面的に応援しました。

シカは本業である畑仕事の他にも、さまざまな仕事に手を出しながら、どうにか英世を支えようと頑張りました。夜は夏から秋まで毎晩、胸まで水に浸かり、小エビを捕って、朝早く十キロ程先の農家に売り歩きました。冬は男でもやろうとしない、命がけの「雪の峠の荷物運び」や、助産婦の手伝いなど、寝る間も惜しんで、できることはなんでもしていました。

こんな母の背中を見て育ち、その支えがあったからこそ、英世は寝る間も惜しんで努力し、多くの人の命を救うことができたのでしょう。シカの口癖は「ありがたい」だったそうですが、もし「そんな手になってしまったから、もうだめだ」と言っていたら、英世は左手のやけどを嘆き続けて一生を終えていたかもしれません。

しかし、シカは「英世の人生」を見捨てず、感謝の気持ちをいつも持ちながら、自分にできることは精一杯やり続けたのでした。母親がこんような人でなかったなら、「世界の細菌学者・野口英世」は、おそらく存在しなかったのではないでしょうか?

英世が帰国したとき、どのような招待の席にも、母を同行することを主催者に申し入れ、同行をためらった母親に、「自分の目から見たら、お母さんはこの世にまたとない貴い神様のような人ですから」と言って、ずっと母のそばについて一緒にいました。英世は本当に母を尊敬し、深く感謝していたのです。

母は、「生きているうちにこんな幸せを味わうとは思っていなかった」と大変喜んでくれたそうです。野口英世の母が身をもって教えた“努力”と“感謝”の尊さは英世の心の中に息づき、成功の花を咲かせる大きな糧となったのです。

“あとがき”から 

お母さまが子どもに身につけて欲しいと願う“生きる力”を育てるのは、まぎれもなく親の愛情です。子どものためを想い、子どもの喜びや哀しみをわがこと以上に喜び哀しむ。その母の願いが子の胸の奥に降り積もり、固まって、岩石のように堅固で確かな“生きる力”が身につくのです。強く大きな母の愛情に子どもが感応したとき、心に愛の灯がともります。その光は永遠に消えない道しるべとなって、子の人生を導いてゆくのです。

引用おわり

吉田松陰が刑を受ける時に詠んだ有名な句があります。

「親思う心にまさる親心今日のおとずれなんと聞くらん」これは、子供が親を思う気持ちよりも、親が子供を思う気持ちがはるかに大きいものです。と言っています。

僕の母は健在です。ブログを書きながら気づかされることが多くありました。

 さて、今週は鹿児島を中心に大雨で甚大な被害が出ています。気象庁が「住民は、自らの命は自らが守らなければならない状況を認識して、早めの避難を行って頂きたい」と発表しました。9月1日の防災展に向けての準備もしっかりすすめていかなければと改めて感じました。「枕元に靴」は実行されていますか?

それでは、ごきげんよう! さようなら。