東京と大阪 パート2

ごきげんよう!スマイリー平野😊です。

いつも笑顔会ブログをご覧いただきありがとうございます。

なが~いGWは、いかがお過ごしでしたか? 5月1日には元号が代わり記念グッズの販売やイベントが行われ、お祝いムードの連休でしたね。今週も「東京」と「大阪」の食文化の違いをお話したいと思いますが、先に「イベント」の案内をさせていただきます。

 ご縁をいただき、来たる、5月18日(土)・19日(日)に、奈良の唐招提寺で行われる「中興忌梵網会」(ちゅうこうきぼんもうえ)で、いがっこ給食センター夢の人気メニューをベースにした「揚げドーナツ」を奉納することになりました。そして、奉納した手作り「揚げドーナツ」の他に、一般社団法人大山田農林公社の伊賀産の生搾り菜種油、黒米、赤米、生かきもち、そして野菜ソムリエ厳選の野菜などを境内の特設売り場で販売いたします。


 時間があるようでしたら、是非おこしください。

 それでは、話を本題に戻します。もんじゃ焼き(東京)VSお好み焼き(大阪)のお話をいたします。

「もんじゃとお好み」、そのルーツは同じで、千利休が創作した茶懐石に出された「麩の焼」と言われています。「麩の焼」は、水で溶いた小麦粉を、油をしいた鉄板に薄くのばして焼き、片面に味噌をつけて巻いてたべるもの。彼岸の仏事に食べたといわれる。

また、江戸中期の文字焼(いろは等の文字を焼いた食べ物)説もあります。

「麩の焼」「文字焼」と言われた食べ物が、明治から大正にかけて東西でカタチを変えて進化しました。

東京の下町(月島あたり)の駄菓子屋が、鉄板で小麦粉を溶いて焼き、醤油や密を塗った「どんどん焼」を売りました。そして、昭和の初めごろに、洋食の流行とともにソースが味つけの基本になり、キャベツ、切りイカ、揚げ玉などを加えた「もんじゃ焼」が出来ました。

大阪でも同時期に、こんにゃくや豆を具に醤油で食べる「ベタ焼」が登場し、その後に、「洋食焼」へ変化していきました。「洋食焼」は水で溶いた小麦粉を鉄板に丸くのばして焼き、キャベツ・天かす・紅ショウガなどをのせ、上からもう一度水溶き小麦粉をかけて両面を焼き、ソースで仕上げたもの。一銭で売られたので「一銭洋食」とも呼ばれました。

そして、戦後に生地だねに具をかき混ぜて焼く現在のお好み焼きが出現し急激に普及しました。僕も、10年ほど前に、一度だけ上野で「もんじゃ焼」を食べた経験があります。一人で食べたので焼き方もわからず、店の人に教えてもらいながら食べましたが、ぐじゅぐじゅしていて、焼けているのかいないのかわからず、小さなテコで焦げたところをこそげ取って完食しましたが、お腹がふくれた感じもなく不思議な食べ物でした。

 また、「お好み焼き」は、大阪と東京では食べ方も違っています。ソースが、東京は辛口好みで大阪は甘口のどろっとしたソースでマヨネーズをつけるのも特色です。東京では、お客さんが自分で焼き、大阪でチェーン展開する店の多くは効率と美味しさのこだわりから店のスタッフが焼いてくれます。昭和の終わりごろに、天満の商店街にあった有名店では、個室風の客席の鉄板で焼くのですが、こだわりの店主(高齢のおじいさん)が全部の席の焼け具合を掌握していて、自分でペタペタさわったり、ひっくり返したりすると怒られるお店がありました。ふんわり絶妙な焼き加減で職人技の美味しいお好み焼きでした。そして、ご飯とみそ汁の「お好み焼き定食」は大阪独自の食文化です。

 最後に、地方ごとにソースメーカーのシェアが違い、首都圏はブルドックソース・東海圏はカゴメソース・関西はイカリソースが主流となっています。最近では、広島で開発されたおたふくソースが関西でもシェアを伸ばしており、その他に老舗の日の出ソースや三ツ矢ソースなどの多様なソースがあります。

 お好み焼き・たこ焼き・イカ焼きなど粉ものの食文化のある関西以外でも学校給食にお好み焼きが出されているところもあるようです。焼きそばにはパンも合いますが、お好み焼きにパンは相性が悪そうなのと、冷めたピザ同様に冷めたお好み焼きは不味いと思います。

 今日も取り留めのない話でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

 それでは、ごきげんよう!